波動注意報
「波動汚染」の広がりを防ぐためニューエイジ系・オカルト系「波動」 「水の結晶」の関わるイベントや活動などに一般企業や公的機関が参加した時に注意報を出します。
 
{カウンター}
 雑記帳 
波動信奉者・波動の存在を揺るぎなく信じてる方はページを閉じられる方がよいでしょう。
 
◆ 雑記帳 ◆
 
気になった話や、点と点が線で結ばれた気がするようなことや、フレーズとして面白かったりと役に立つやら立たないやらいろんな事をメモの意味合いで書いていきます。
ただの雑記帳です。
その性質上、どんどん更新されるとは限りません。
ネット上、書籍などから引用する事も多いと思いますので、その場合は記事元の表記をして引用程度に収めるつもりですが、「これは、引用の範囲を越えてるんじゃないの?」という場合は「トップページ」→「リンク」の中の管理人メールアドレスまでご連絡ください。
順位不同ですが、読め!…じゃなくて、ご容赦ください。
 ( )はK2の補足とか解説とか適当なコメント。
その場しのぎの仮説(ad hoc hypothesis)
 『The Skeptic's Dictionary 日本語版
「 その場しのぎの仮説とは、理論の誤りが明らかとなるような事実に対する言い訳として作られる仮説である。疑似科学者の仕事や超科学によく見られる。たとえば、ESPの研究者は傍観者が超能力に敵対的な考えを持つと、それが無意識のうちに繊細な機械である被験者の読み取りに影響すると言って非難することが知られている。敵対的な波動のせいで、ESPに肯定的な実験結果が再現されるのが不可能になるのだそうだ。超能力の有効性を示すには、実験を再現することが不可欠だ。もちろん、この反論がまともに受け入れられたら、超能力実験はどれひとつ失敗しないだろう。結果がどうであれ、これは既知のあるいは未知の超越的な精神力によるものだと言えてしまうのだ。 」
信じ込み症候群 (狂信者症候群)
(true-believer syndrome トゥルー・ビリーバー・シンドローム)
 『The Skeptic's Dictionary 日本語版』
「 トゥルー・ビリーバー・シンドロームとは、超常現象や超自然現象を、それがただのいんちきにすぎないと決定的に証明されたあとでさえ信じ込むことである。 」

「 人はなぜこうした連中のいんちきの手口や、いかさまで大儲けしている実態を知ったうえで、なお連中の超能力や超自然的能力を信じ込むのだろうか。定義上、トゥルー・ビリーバー・ シンドロームにかかった人は非合理的にこうした信仰へ走るため、彼らと話をしても議論が一致することはない。こうした人たちはトゥルー・ビリーバー という語の定義上、精神医学的観点から欺かれていると言える:彼らは間違っ たことを信じ込んでいるので、証拠や議論によって彼らの考えが誤っていると説得されるのに必要な資質を欠いているのだ。 」
ハロー効果(後光効果、光背効果、威光効果)(Halo effect)
 『広辞苑 より』
「 (halo‐effect) ある人が一つの面で優れていると、その人が他の面でも優れているとみなす傾向。光背効果。 」

( 権威的な肩書などを見て、それ以外の部分(その他の主張や人格なども含めて)までも優れている、正しいと判断してしまう事。 )
『 見た目にはごく普通の青年たちのどこかがおかしいのです。驚くほど指示待ちの態度で、従順で批判精神がなく、気味が悪いほどあいまいな微笑が、このまじめな青年たちの頬に浮かんでいるのです。 』
 『「カルト教団からわが子を守る法」 J・C・ロス(Joan Carol Ross)、M・D・ランゴーニ(Michael D.Langone) 著 より』
カルトの識別
 『「カルト教団からわが子を守る法」 J・C・ロス(Joan Carol Ross)、M・D・ランゴーニ(Michael D.Langone) 著 より』
「 (規模)
信者が3、4人のものから何千人までと幅広い。

(言葉)
それぞれが仲間だけに通じる言葉を用いる。信者感だけの排他的な使い方をするので、外部の人には理解できない。

(テキスト)
カルトは自分たち自身のための聖なる本やマニュアルを出版することがある。
それ以外のカルトは、そこでの教えは聖書のような伝統的な物を土台にしていると主張するが、本当はねじまげ、歪め、盗用し、間違って解釈している。あるいは、教団の考えを促進させるように文脈に無関係に引用してしまう。ついには折衷させてしまうカルトまである。あらゆる宗教の予言を寄せ集めたうえ、宗教、ミステリー、オカルトの本などからも引用したりする。 」

言葉の戦略
 『「カルト教団からわが子を守る法」 J・C・ロス(Joan Carol Ross)、M・D・ランゴーニ(Michael D.Langone) 著 より』
 (なぜ人はカルトに入るのか - カルトの戦略)
「 普通の言葉に新しい意味をもたせたり、違った意味に変えて使う。たとえば神の光の伝道団では、「知識」とは活動中に教えられる瞑想の四つのテクニックの事である。「マインド」とは、悪魔の考えや力と同じ意味で、神や真実から自分を引き離してしまうもの。「世界」とは、教団の外の世界の暗闇を指す。他の例も挙げよう。特殊な用語を用いる(言葉やフレーズをこしらえる)。会話や歌に外国語を入れる。カルト以外の活動、関心事、考えなどについて、”ありふれた”話をしない。自分の過去や未来について個人的な考えや気持ちを話すことを軽蔑する。

効果 - 特殊な言葉や知識の共有で連帯感をもつ。信者同士でいることが居心地がよく、それらの言葉が毎日の生活に入り込むようになると、外部とのコミュニケーションは控えようと思うようになる。外部の物には信者の言葉が理解できなくなってしまう。しだいに、教団の内と外とを分極化する考えが進み、外部よりカルト内にいる自分が本物だと思えてくる。 」

学位商法(学位工場・製造所)(ディプロマミル、デグリーミル)
 『学位商法にだまされないために
「 学位商法とは、大学の学位、修士号、博士号をお金で販売している商売のことです。」

(非認定の学位。自分の学歴・権威付けのために偽学位を買うわけですね。)

学歴ネットのホームページ

イオンド大学の学位商法」 - 『弁護士山口貴士大いに語る

「オープン・インターナショナル・ユニバーシティー」
JANJAN 「「水からの伝言」にみるにせ科学」(山田ともみ 著)のコメント より)
「 さて、「学位商法」を追及している「ベアズ・ガイド」によると、オープン・インターナショナル・ユニバーシティはインドとスリランカの二つあり、共に代替薬学。前者は胡散臭いWAUCの認定、後者は認定もなく学位を米国から1,000ドルで売っていた。」(メアリー加藤)

「国際学士院」
「また、日本では右脳式訓練による子供教育(英語)本が多数出ている。そうした本の著者の1人、七田眞氏は「米国ニューポート大学日本校教授」であるようだが、この大学も、Bear博士の言う胡散臭い大学である。(〜中略〜) さらに、同氏が騎士(ナイト)の称号を受けたという(米国)国際学士院は、なぜか秀蓮気功師学院のサイトにある。国際学士院の傘下のロスアンゼルス市立大学を、Bear博士はやはり胡散臭いとしている。」
『 「米国大学(院)学位商法」の危険性―英語教育界に進む汚染 (メアリー加藤)』 より)

JANJAN』 - 「「米国学位商法」の危険性」(メアリー加藤 著)
1. 福永法源の博士号
2. 薬学博士と謎の研究所
3.  「健康食品」販売の権威付け
4. 健康関連ビジネスに広がる
5. 著名人が続々と登場
6. お粗末な日本校
7.  「胡散臭い」学位
8. 「認定機関」そのものが胡散臭い
9.  奇怪な広がり 
10.日米当局のそれぞれの取組
人間が陥りやすい非合理への「落とし穴」
 『 科学と非科学の間(はざま) 安斎育郎 著  ちくま文庫 より 』
( 六章 科学と非科学の間(はざま) 二、体験の絶対化 )

(「価値的命題」--- 価値の選択、好き嫌いの好み、個々の価値観が主題になる物事。)
(「科学的命題」--- 正しい(本当)か正しくない(ウソ)かを客観的に決めることができ、答えを出す必要のある主題のこと。(個々の価値観(好み)には左右されない))

「 科学的命題群の場合、正しいか正しくないかの判定は「事実との照合」によってなされるわけですが、「超常現象」の主張の検証には、まさにこの点で重大な困難が持ち込まれることが多いのです。 」

(〜中略〜)

「 「超能力は心の影だから、懐疑的な人がいると、その人の心の影が反映されて超能力現象が起こらなくなる」と言った類です。
したがって、科学者は、事実と照らし合わせることの出来る客観的な検証を求め、そのような条件が保証されていない場合には、その現象を「超常現象」と認めることを拒否します。
一方、そのような現象の体験者や目撃者は、しばしば自分の感覚器官を通じて「直接確かめた経験」を絶対化し、ろくに科学的に検証することもなく、その命題が正しいことを信じ込みます。「自己の体験」を至上のものとして絶対化し、他の膨大な知識の体系と理論的に矛盾しないかどうかなどということは無視ないし軽視します。こうして「科学」と「非科学」の境界が不明確にされるのです。 」

(〜中略〜)

「 感覚器官は不完全なものであり、感覚器官を通しての認知は「錯覚」に陥りやすいものだということを、人々はなかなか認めようとせず、自分の体験に対する非常に強い執着性を示します。 」

こっくりさん占い
 『 科学と非科学の間(はざま) 安斎育郎 著  ちくま文庫 より 』
( 六章 科学と非科学の間(はざま)  四、不可知論の立場の導入 )
 (1853年イギリスの科学者マイケル・ファラデーがこっくりさん占い(テーブル・ターニング)を実証的に解明した論文から)

「最後に述べさせていただきたいことがあります。私は、この純物理学的な実験によって明らかとなった一般の人々の意識状況にたいへん驚かされました。正しい判断を下した人々や注意深く態度を保留した人々も、たくさんいたことは疑うべくもありません。なぜなら、私自身、そうした人々を知っていますし、報道機関もそうした事実を伝えているからです。しかし、そのような人々の数は、見当違いの原因を信じ込んだり、証拠だてようとする大多数の人々の数と比べたら、ものの数ではありません。私は、私の見解に同意する人と不同意の人との違いのことを言っているのではありません。ここで、大多数の人々というのは、事物の因果関係について考察を加えようとしないような人々、すなわち、電気や磁気のせいだと言いながら電気や磁気の力の法則について何も知らない人々、引力を持ち出しながら純粋な引力現象であることを示してみせない人々、まるで地球がテーブルの脚の周りを回転でもしているかのように地球の回転が原因だと主張する人々、既知の力で説明がつくかどうか調べもしないで、未知の物理力が原因だと考える人々、あるいは、運動の性質について結論を下すことができるほど、この問題についても十分な知識を持っていないから判断を差し控えるというのではなくて、平気で悪魔の力とか超自然的な力を持ち出す人々……などのことを言っているのです。私は、この問題を通じて明らかになった人々の意識状況が放置されてきたような教育制度は、非常に重要な原則において、どこか大きな欠陥を持っていたに相違ないと考えます。敬具。
          一八五三年六月二八日王認研究所において M・ファラデー」
主観的願望を優先する人は(b)を選びやすい傾向がある
 『 科学と非科学の間(はざま) 安斎育郎 著  ちくま文庫 より 』
( 六章 科学と非科学の間(はざま) 五、主観的願望の優先 )

「 人々は、よく「超能力があると信じた方が楽しい」と主張します。しかし、これは明らかに「価値的命題」に属する主張であって、「科学的命題」の真偽を科学的に検証する立場とは明確に区別しなければなりません。 」

(〜中略〜)

「 フェスティンガーは、「人間は、自分がすでにもっている認知と不協和関係にある認知に出会うと、その不協和を減少または解消する方向に行動をとる」と主張しました。
これが「認知的不協和理論」です。
「不協和関係にある認知」というのは、「折り合いの悪い認知」と言ってもいいかも知れません。 」

「 さて、人間は、自分の認知と「不協和関係」にある認知に出くわすとどう行動するのでしょう。フェスティンガーは、少なくともつぎの三つの行動のとりかたがあると言います。
(a)旧来の認知を捨てることによって不協和を解消する。
(b)新たな認知を無視ないし軽視することによって不協和を和らげ、旧来の認知を持ち続ける。
(c)無関連の認知を持ち出して、不協和を軽減する。 」

(まぁ、簡単に言えば自分の知識・価値観にそぐわない「事実」に出会った時に、「(a)事実として受け止め今までの知識・考えを修正する」のか「(b)事実から目をそらしたり、事実に大きい意味は無いとして自分の知識・考えに固執する」のか「(c)事実に対してまったく別の話を持ち出し誤魔化して自分の知識・考えに固執する」かということですね。)

肯定的な、科学者・先生・メディアの姿勢に対して
 『 科学と非科学の間(はざま) 安斎育郎 著  ちくま文庫 より 』
( 六章 科学と非科学の間(はざま) 六、他者への判断の準拠 )

「 「超常現象」の真偽について自分では判断せず、自分が信頼している人の肯定的判断に準拠して信奉者となる場合があります。 」

(〜中略〜)

「 とりわけ、批判力が十分に形成されていない子どもたちの場合、自分たちが知っている有名人や先生の判断は非常に説得力をもち、「超常現象志向」にいざなわれる重要な契機となります。その意味で、「超常現象志向」の蔓延の過程でオピニオン・リーダーたちの言動が果たす役割は重要であり、それだけに無責任な言動は慎んでもらいたいものです。 」

(『 科学と非科学の間(はざま) 』は1995年(ちくま文庫版は2002年に加筆)に書かれたものですので今となっては聞いたことのある話があったりと古く感じる部分もあるかもしれませんが、非常に面白いですね。「波動」といったオカルト信奉者が「現代科学には未知の世界」ではなく、数百年以前を生きている事がわかるでしょう。)

「除霊(浄霊)」「霊感」商法によく見られる詭弁
 『 科学と非科学の間(はざま) 安斎育郎 著  ちくま文庫 より 』
( 三章 霊のこと 五、「除霊」商法 )

「 「実際には存在しないものをあたかも存在するように印象づける有効な方法」を説明するために、しばしば引用されるのに次のような比喩があります。
砂入りのバケツを手にした男がニューヨークの街を歩きながら、道路に砂を撒いています。不審に思った通行人が理由を尋ねると、男は「ワニを追い払っているんですよ」と言います。「ニューヨークの真ん中にワニはいないでしょう」と言うと、男は「そう、効き目があるんですよ」と得意顔をしたという話です。男の主張が理解できますか?「本当はニューヨークにもワニがいるんだが、それが出てこないのは、自分が砂を撒いてるせいだ」という詭弁なのです。 」

(こういう話は霊感商法に限らずありそうですね。)
大切な批判的、実証的な思考法
 『 まさか自分が…そんな人ほど騙される 西田公昭 著  日本文芸社 より 』
 (第 2章 リアルな感覚があなたを惑わす  3 神秘的な体験をしたからという前に)

「 あなたは、宗教を信じますかと聞かれたら、どう答えますか。
 今度は、科学を信じますかと問われたら、どう答えますか。
 こういった二者択一の問いかけに対して、迷うことなく一にも二にもいずれかの選択ができるということ自体、ヘンな話だと思うのです。 」
 
(〜中略〜)


「 しかし、いずれが正しいのか、どうやって判断をつけますか。もし、科学を信じる人が、現在の科学では説明のできない現象がたくさんあることを知ったらどうしますか。宗教を信じない人は、知りうる科学で説明のつかない不思議な現象を目の当たりにしたら、どうしますか。
 そういうときに、急いで深く突き詰めてすっきりした答えをみつけようとすると、ろくなことはありません。科学好きには、”科学”は名ばかりで実証性の怪しい疑似科学の説明にやられますし、宗教好きには、いとも簡単に神に出会った奇蹟体験としてとらえるでしょう。
 私は、科学を信じている人と宗教を信じている人とは、さほど変わらない気がします。
内容は詳しくわからないけれど、何やら物理学や生物学で確かめられているというように言われたからとか、数値を用いた説明とか、数式や公式で示されたからとか、そういう専門家が認めているようだからといった理由で、「これは間違いないのだ」と判断するのは、「ちょっと待て」なのです。たとえば、「これは科学で証明されています」「この商品は、○○博士の研究でその効き目を確かめられています」などとアピールします。
 でも、こうした態度は、科学信仰というか、”科学”という名の宗教を信じているに近いと思いませんか。重要なのは、科学的な論理の思考だし、批判的に物事を受け止めて立ち止まって精査することであり、なんでもかんでも言われたまま受け止めるのではないという態度ではないでしょうか。あなたが信じる○○博士の研究は、いったい、どのようにしてなされたというのでしょう。もしかして、その会社や団体から、おそろしく高額の報酬を得ていたり、自分たちに都合の良いデータを提供している可能性はありませんか。
 また、その商品に不思議な効能があるというにもかかわらず、効き目がなかった人や、逆にそれまでもよりもっとわるい状態になった人はいませんか。さらにもう一つ、それを買わないのに、状態がよくなった人はいませんか。
 今、四つの条件をあげましたね。買ってよくなった人、ならなかった人、買わなくてもよくなった人、ならなかった人、最低でもこの四条件のグループを慎重に調べて、偶然とかではなく確実に、買った人が商品の恩恵を受けているということが大切です。本来、科学とは、こうした批判的な思考法によって、物事の現象を確かめていこうとする試みではないでしょうか。 」

良い人だ、良い話だ、と思ったら一歩引け
 『 まさか自分が…そんな人ほど騙される 西田公昭 著  日本文芸社 より 』
 (第4章 騙してくるのはどんな人間か  1 見た目ではわからない、騙す人)

「つまり、人が他者を判断するときはいつも、先入観や偏見の影響を受けています。もっと言えば、それをぬぐうことは不可能だといえます。ですから、ある人が、いかにも胡散臭く、悪そうな人柄に見えても、逆に真面目で善人そうに見えても、それはたいして当てにはならないのです。「優しい顔つきで人を騙すようには見えない……」という印象だからといって、それがその人を信じるに足るものではない、ということを肝に銘じておく方が無難です。」

(人はその人物の実際の行動に関係なく、良い人だと思い込んで見れば良く見え、悪い人だと思い込んで見れば悪く感じるものだ。だから最初の印象(イメージ)が良く見えてもそれだけで良いもの・良い人だと決めつけることはやめておきましょう、という話ですね。簡単に心を囚われるのではなく一歩引いて広く見る視点が必要です。そう言えば「波動信奉者」は絵や音楽やホームページにすらその「印象から」良い悪い「波動」があると言うようです。「印象を受ける」という語句を「(自分は)波動を感じる」と置き換えることで自分への暗示にもなるでしょうし、人とは違うという優越感に浸れるのでしょう。この書籍などに書かれている「騙される人」の最たる傾向を持った人達ですね。)

 (第4章 騙してくるのはどんな人間か  2 簡単につくられる、信頼できる人)

 「外見や振る舞いから、騙そうとしている人かどうかを判断することが誰にとっても難しいと申し上げたのですが、そのさらなる理由をあげることができます。
 まず、騙す人間は、騙すことが悪いと思っていないことが多いのです。悪徳業者のセールスマンの告白によると、結局のところ騙されるほうがバカなのだと開き直ります。当然、ウソをついていても自分を責める気持ちがありません。堂々たる態度で臨んでいます。もしウソをついているなら、うしろめたい気持ちがあるはずだから、相手を注意深く観察したり、しばらく話をしたりすれば、たいてい見抜けるのではないかと思っている人もいます。しかし、残念ながらそんなに甘い話ではないのです。」

「〜は絶対にありえない」
 『 「マイナスイオン」どこがニセ科学か 小波秀雄 京都女子大 』(ニセ科学フォーラム資料 より)
 (4.2.1 専門家は断定できない人種)

「専門家が使う表現と一般の日常用語の感覚にはずれがある。特に何かを否定するときには、専門家は慎重な言い回しをせざるをえない。

専門家が使わ(え)ない表現
「〜は絶対にありえない」


しかし多くの人は、確率がゼロでないと言われれば「実際に起きるかもしれない」と考える。

専門家の言い方 言いたいこと 一般の受け止め方
------------------------- ------------------------- -------------------------
〜は否定できない。 多分ないと思ったほうが。 やっぱ、あるんや!
〜はほとんどない。 絶対ないんだよ。 やっぱ、あるんや!
確率的にはきわめて低い。 起こるわけないんだ。 やっぱ、起きるんや!
------------------------- ------------------------- -------------------------

 (4.2.2 一般の人の受け止め方)
一般の人は、何かを期待しているときには、少しでも含みのある表現は自分の期待に添うように解釈することがしばしばある。また断言してもらわないと不安になる。最初疑いを持った言説に対しても、まわりの空気によっては、信じる方向へと傾斜する。
ウソが信じられるのは、その内容の信憑性よりも、堂々と大量に流されるからである。 「人民大衆は小さな嘘には騙されないが、大きな嘘にはたやすく騙される」(ヒットラー『わが闘争』) 」

(これは 「無いことの証明ができない限り『絶対に無い』とは言えない!」 「無いことを証明しないで無いと言うのは科学的でない!」 と出てくるオカルトな信奉者の典型的な主張に関係する話ですね。
「有ること」の証明が先なわけですが。
(単なる一般個人から見て)一見科学に則ったような主張に見える時がありますが、実際は都合の悪い部分を都合の良い言い方を取り上げて覆い隠そうとするご都合主義。
真偽に限らず「自分が信じている事だから間違いを認めたくない!」という感情の憤りから論理が逆転して出てくるようです。
この言葉を出す人を見かけると『最初からこの人の思考はニュートラルに無く、「オカルトな現象は有る!」が前提でスタートしてるのだなぁ。』と思ったりします。そんなことではオカルトな現象が実際に有るか無いかに関係無く、インチキは間違い無く有るわけですから何が正しいか判断できないでしょうね。
そして、ちょっとした機会に「(自分が勝手に)不思議に感じた事」が繋がり、実感となってより深い闇に落ちていくのでしょう。
私の場合は『「有る」が確認されるまでは「無い」。「有る」が確認されたなら確認されたことが間違いないかできうる限り確かめて「無いと思ってたけど有ったんだなぁ。」』と「判断・修正」します。(えぇ、それでも間違えますよ、ぐすん。) 「有るかも知れない」という「推測」はまた別ですけど推測は推測。もちろん人並みに「願望」もあるけど、願望は願望。 )
(2006/09/18 追記:ニセ科学フォーラム資料が公開されていたのでリンクしました。)

鰯の頭も信心から
 『広辞苑第五版』 より

「鰯の頭のようなつまらないものでも、信仰すると、ひどくありがたく思える。」  

(今さらな事だけど、「信じる」と人の心に↑のような作用を及ぼす。商売のためのウソや誰かの妄想は信じたくないものですね。)
バーナム効果
 『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『バーナム効果』 より

「バーナム効果(バーナムこうか、Barnum effect)とは誰にでも該当するようなあいまいで一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象。
(〜中略〜)
占いや超能力(特に千里眼など)、霊視、血液型性格診断といった試行や現象が科学的根拠がないにも関わらず持っている説得力の大部分は、このバーナム効果で説明出来るとされる。」

[ 戻る ]